芸能界のドン”田邊昭知”が行った変革とは

芸能界のドン”田邊昭知”が行った変革とは

皆さんは、大手芸能事務所『田辺エージェンシー』をご存知でしょうか?

タモリさんや研ナオコさん、堺雅人さんなどが所属する事務所で、最近ではSMAPの解散騒動で話題になりましたね。

田辺エージェンシーの田邊昭知社長は芸能事務所『バーニング』の周防郁雄社長とともに”芸能界のドン”と呼ばれるほど、芸能界では絶大な力を持っています。

そんな田邊昭知社長はその昔、グループサウンズを代表するバンド、『ザ・スパイダース』というバンドでドラマーをやっていたことは最近の若い子は知らないのではないでしょうか?

しかし、音楽業界ではグループサウンズは日本の芸能界における大きな変革であり、グループサウンズが現在の芸能界の基盤を築いたと言っても過言ではないでしょう。

ということで今回は芸能界のドンと称される田邊昭知さんについて迫っていきたいと思います。

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田邊昭知の歴史

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1938年、東京に生まれる

1950年、米軍キャンプに出入りしながらドラムを始める

1961年、『田辺昭知とザ・スパイダース』を結成

1966年、ムッシュかまやつさん、堺正章さん、井上孝之さんらが加入し、バンド名を『ザ・スパイダース』に変更。ホリプロから独立して芸能事務所『スパイダクション』を設立

1971年、ザ・スパイダースを解散

1973年、スパイダクションの規模を拡大し、『田辺エージェンシー』に改称。タモリさんや由紀さおりさん、ヒロミさんなどが所属する巨大芸能事務所に成長

田邊昭知が行った芸能界の変革

田邊昭知さんが行った芸能界の変革の象徴とも言える『原盤制作』。

1960年代半まで、日本の音楽業界は大手レコード会社が作詞家、作曲家、歌手を専属として抱えていました。そうすることによってレコード会社は、売り上げのほとんどを懐に収めることが出来ました。

一方の芸能プロダクション側、自社の歌手がヒットしても、受け取れる歌唱印税は約1%ほど。制作費や宣伝費はレコード会社持ちとはいえ、あまりにも儲けが少なすぎました。

当時の音楽業界は、レコード会社が芸能プロダクションよりも圧倒的に有利な立場にあり、この構造を崩すための方策が田邊昭知さんが行った『原盤制作』でした。

この『原盤制作』とは、芸能プロダクションが作詞家と作曲家にギャラを支払い、レコーディング費用も負担して制作した楽曲の原盤をレコード会社に貸し、原盤使用量を徴収するというビジネスモデルです。

この原盤制作が従来の楽曲制作の枠組みを大きく変えたと言えるでしょう。

田邊昭知のヤクザ対策

そんなこんなで順調に芸能プロダクションとしての基盤を固めていった田辺エージェンシー。そんな田邊昭知さんの手腕は芸能マネジメントだけではなく、ヤクザに対する付き合い方も上手だったと言います。

現在でも、芸能界と暴力団とのつながりは度々取りだたされますが、その歴史は、1957年に山口組三代目組長の田岡一雄さんが神戸芸能社を立ち上げ、美空ひばりさんのマネジメントをしていたように、当時はそれが今よりも露骨でした。

特に地方の興行では、必ず地元の暴力団が介入した時代です。

暴力団があまり好きではない田邊昭知さんは、自分が直接暴力団とやり取りすることが嫌だったので、かつてワタナベエンターテインメントでブルー・コメッツのマネージャーを担当していた川村龍夫さんを田辺エージェンシーに迎え、暴力団担当にしました。

川村龍夫さんはのちに、周防郁雄さんが率いるバーニングの取締役になり、川村龍夫さん自身もケイダッシュを設立しています。

バーニングとケイダッシュ、どちらも芸能界の武闘派として知られておりますが、過去の田辺エージェンシーで暴力団担当として養った経験が役に立っているのでしょうね。

このニュースを45秒で解説

グループサウンズという革命的ムーブメントの中で芸能界の足場を固め、田辺エージェンシーを設立し、さらには音事協の会長に就任するなど、現在の芸能界のドンとなった田邊昭知さん。

芸能界と暴力団という切っても切れない関係を上手くいなすことが成功の秘訣だったようですね。

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田辺エージェンシー社長、バーニングプロダクションとジャニーズ事務所よりも最強なら、この2つの会社をぶっ潰すんじゃない?周防はメリーと親密な関係にあるというから、周防がバーニングの裏切り者になるのでは?バーニングプロダクションとジャニーズ事務所を、いっぺんに潰すだろうね。

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