たけし軍団でお馴染みのビートたけしさんが所属事務所である『オフィス北野』退社し、独立することを発表しました。
ビートたけしさんの本名は北野武です。ということはビートたけしさんがいるからこその『オフィス北野』なのでは?
それを独立ってどういうことなのでしょうか?
それを知る鍵は、オフィス北野を設立した経緯、フライデー襲撃事件までさかのぼります。さらに、その裏には大手芸能事務所のバーニングが関係していたようです。
この記事を読んだあなたは、芸能界の本当の闇を知ることになるでしょう。
目次
ビートたけしプロフィール
名前 | 北野武(きたの たけし) |
---|---|
生年月日 | 1947年1月18日 |
身長 | 168cm |
体重 | – |
血液型 | O型 |
出身地 | 東京都足立区島根 |
職業 | お笑い芸人・タレント・映画監督・俳優・脚本家・大学教授・歌手・芸術家・作家・編集家 |
所属事務所 | T、Nゴン |
1980年代初頭に起こった漫才ブームの中で社会風刺を題材としたシニカルな笑いでツービートは人気を獲得。
フジテレビTHE MANZAIやその後継であったオレたちひょうきん族らに出演し番組が大ヒットし、一般人、芸能人(特に後輩芸人)問わず未だに発言や行動に多大な影響力をもつ人物の一人。
1990年代頃より司会業や映画監督業が中心で、中には20年以上続く番組もあります。
オフィス北野とは
ビートたけしさんのプロフィールを見てもわかるとおり、お笑い芸人・映画監督・大学教授などマルチな才能で日本の芸能界を牽引してきました。
そんなビートたけしさんが所属していた『オフィス北野』とはどういう会社なのでしょうか?
wikiによると、
1986年にフライデー襲撃事件を起こしたビートたけしが、太田プロダクションを退社し、新たに設立した芸能事務所である。
ビートたけしさんのフライデー襲撃事件は有名ですね。
ビートたけし、フライデー襲撃事件
フライデー襲撃事件とは、当時ビートたけしさんと交際していたといわれた専門学校生の女性に対してフライデーの契約記者が強引に取材をしようとして頸部捻挫、腰部捻傷で全治2週間の怪我を負わせたことに激怒したビートたけしさんがフライデーの発行元である講談社に弟子であるたけし軍団のメンバー11人を引き連れて襲撃した事件です。
これによりビートたけしさんは1987年6月10日、懲役6か月、執行猶予2年の判決が下されました。
その当時、ビートたけしさんは太田プロダクションに所属していたのですが、フライデー襲撃事件から復帰後、行く先々で右翼団体に復帰が時期尚早であると街宣を掛けられたことに全く対処してもらえず、街宣を指示していた暴力団幹部らの元に自ら出向き事態を収束させたが、その際に太田プロダクションの退社を条件として提示されたという。
その後、ビートたけしさんは太田プロダクションを退社し、社長の森昌行さんと共に『オフィス北野』を設立し現在に至ります。
ということで、オフィス北野という名前の通り、ビートたけしさんあってのオフィス北野ということで、今回その柱でもあるビートたけしさんが独立するということで話題になっているわけですね。
ビートたけし、オフィス北野を退社
なぜ、ここにきてビートたけしさんはオフィス北野を退社するのでしょうか?
退社について社長の森昌行社長がスポニチの取材に答えています。
独立の理由については、たけしから「軍団を含め、これまで背負ってきたものをいったん下ろしたい。自分の時間を増やしたい」という申し出があったことを明かした。
古希を迎えてからの独立の背景について、森社長は「年齢的にも体力的にも、70歳を過ぎて自分でやりたいこともあるし、今後の残された人生を考えていく上での新境地でしょうか」と説明。
引用:たけし71歳独立で新境地?事務所は大打撃 森社長「社名変更、規模縮小も」― スポニチ Sponichi Annex 芸能
ビートたけしさんは今年で71歳です。年齢的にも自分の好きなことを好きな時にやって悠々自適に生活したいのでしょう。しかしそうなると、ビートたけしさんが面倒を見てきたたけし軍団のメンバーはどうなるのでしょうか?
水道橋博士や玉袋筋太郎さん、ガダルカナル・タカさん、ラッシャー板前さん、三又又三さん、松尾伴内さんなどは、ピンでも仕事がありますが、その他のメンバーはビートたけしさんのバーターというイメージです。
これについて、軍団メンバーから相談を受けたというディレクターは「たけしさんについていくも良いし、オフィス北野に残るも良し、選んでいいと言われている」というのです。
選べと言われても売れてない芸人からしたら、「どっちが仕事ありますか?」状態だと思います。
活動を縮小するビートたけしさんについていって仕事があるかもわかりませんし、ビートたけしさんが抜けたオフィス北野にそのまま残って仕事があるかもわかりませんし、やはりこういう時に、芸を披露する場である劇場をたくさんもっている吉本は強いですよね。
こうならないために、がんばっているとは思うのですが、一発当てるのって本当に難しいのですね。
ビートたけしさんが退社を発表した翌日の『情報ライブミヤネ屋』に生出演した たけし軍団のガダルカナル・タカさんが、「自分が抜けた後を心配して株を処分したり退職金を残すなど相当額の資金を事務所に残してくれた」と明かしました。
ビートたけしの今後、新会社『T.Nゴン』とは?
オフィス北野を3月いっぱいで退社することを発表したビートたけしさん。
今後は新会社『T.Nゴン』で活動していくそうですが、『T.Nゴン』とはいったいなんなのでしょうか?気になりますね。
ビートたけしさんは、自ら会社をいくつか持っており、妻である幹子夫人との『北野企画』もそのひとつです。
『T.Nゴン』は2015年に18歳年下のビジネスパートナーの女性と設立、2017年3月には代表取締役にも就任しており、そのころから独立に向けた準備をしていたのでしょう。
このビジネスパートナーの女性というのは、4年ほど前に週刊誌が”愛人”として報道しており、共通の知り合いで出会い、以前は関西の高級ホテルのアドバイザーを務め、2009年にはホテル事業の関連会社を設立(2013年末に解散)するやり手のビジネスウーマンのようです。
さらに、この愛人の父親は大手広告代理店の元幹部で、国会議員の秘書を務めた後、地元・熊本で県会議員を務めていたこともあるそうです。
ちなみに、新会社の『T.Nゴン』の名前の由来は、明らかにされていませんが、ゴンはビートたけしさんが飼っている犬の名前だそうです。
しかし、冷静に考えて
- T→たけし
N→愛人の名前(小説の主人公の名前)- ゴン→たけしさんが飼っている犬の名前
でしょうね。
最近では、北野映画で仲が良かった俳優の大杉漣さんが66歳で亡くなったこともあり、終活に向けて考えるようになったのでしょう。
ビートたけし、洗脳されていた
独立を発表したビートたけしさんですが、ここにきて洗脳疑惑が浮上しております。
ビートたけしさんを洗脳しているとされるのは『T.Nゴン』を一緒に立ち上げた愛人・横井喜代子さん(仮名)。
そう語るのは『ツービート』結成当時からビートたけしさんを知るテレビ朝日元プロデューサーの皇(すめらぎ)達也さん。
皇氏は“たけしがお金のことをうるさく言ったことなんて今までは見たことがない”と訴えるが、業界関係者によれば、「T.Nゴン」の設立前後から、たけしの言動には変化が見られるようになったという。
例えば、仕事のギャラは幹子夫人の会社と息子の会社に振り込まれることになっていたのだが、「1年ほど前、その振り込み先を全て『T.Nゴン』に変更してしまったのです。たけしさんが描いた絵の権利も、次々と新しい会社に移していった。おそらく、横井さんがたけしさんを焚きつけたのでしょう」
どうやら、愛人にお金をつぎ込んでいるようですね。
しかし、これまでがんばってきたのですから、晩年ぐらい好きにさせてあげてほしいような気もします。
そんだけ入れ込める愛人を見つけれるのも幸せなのかもしれませんね。
このニュースを45秒で解説
ビートたけしさんがオフィス北野から独立し、新会社『T.Nゴン』を設立したことを発表しました。
今年で71歳ということもあり、自分の好きな事を好きな時にやりたいのでしょう、自分ひとりでも大変な芸能界という世界、ビートたけしさんは『たけし軍団』という弟子の面倒も見ながらやってきたわけですから相当な負担だったと思います。
しかし、ここからは筆者の予想なのですが、ビートたけしさんは愛人のために『オフィス北野』を離れることを決意したのではないでしょうか。
ビートたけしさんは、幹子夫人と結婚した経緯を過去にこう語っています。
ビートたけし「自分は別の女性に気を引かれていたが、幹子の両親が勝手に婚姻届を出してしまい、彼女らを前科持ちにしたくなくて訴える事が出来なかった」
その後も実母のさきが離婚を恥と考えていて幹子の肩を持ったことなどもあり、ずるずると今に至っているそうです。
ビートたけしさんはこれまで数えきれない愛人報道がでており「自分と付き合った女には金を払う」と宣言しています。
『北野企画』は奥さんにお金を渡すため、『T.Nゴン』は現在の愛人へお金を渡すためということでしょう。
では、オフィス北野は誰にお金を渡すため?
記事の前半でも紹介しましたが、オフィス北野とは、ビートたけしさんがフライデー襲撃事件の後、右翼団体の街宣活動によって太田プロダクションを離れることになって設立したマネジメント会社です。
その時の右翼団体が、ビートたけしさんの太田プロダクションを退社することを条件に許してもらったそうですが、右翼団体がなぜ”引退”を条件ではなく”太田プロダクションの退社”を条件にしたのでしょうか?
右翼団体活動に頭を悩ませたビートたけしさんが相談した相手が、日本の芸能界を牛耳る大手芸能事務所バーニングプロダクションの周防郁雄社長でした。
周防郁雄社長は見返りとして、『太田プロダクションを退社して”オフィス北野”を立ち上げること』、また、『オフィス北野にバーニングの人間を役員にすること』を条件に手助けをしました。
太田プロダクションを退社させたのは右翼団体ではなく周防郁雄社長だったということですね。
その証拠に、過去には、元ライジングプロダクション社長の平哲夫社長がオフィス北野の副社長を務めていました。
平哲夫さんと言えば、その昔、長良じゅんさんの下で働いていたこともあり、周防郁雄社長とも非常に仲の良い人物です。
オフィス北野の株の25%をバーニング関係者がもっているという情報もありあり、オフィス北野はビートたけしさんのものではなく、バーニング関係者のものだったのです。
ちなみに、平哲夫さんは小指がないことで有名です。おそらく右翼団体との交渉を手助けしたのも平哲夫さんではないでしょうか?
さらに、ビートたけしさんの娘で歌手の北野井子さんのデビューもオフィス北野ではなく、ライジングプロダクションからのデビューというところで、その関係性がわかってきますね。
まとめると、
- オフィス北野はバーニングのもの
- 北野企画は幹子夫人のもの
- T.Nゴンは愛人のため
ということですね。
芸能界をたどっていくと必ずたどり着くのがバーニング、やっぱりすごいですね。
リンクオフィス北野
たけしはヤクザ映画だけ作ってればいいよ
ダンカーン
コロッケとってー